辺境で船を漕ぐ

自分が読みたい言葉を書きます。

忘れえぬ日々のために

時系列のつなぎ目としての出来事

過去の記憶を振り返る時、何が出来事として記憶されるだろうか。必要なのは変化だとは考えられる。例えば過去の記憶を時系列順に書き出したとき、それ以前とそれ以後で明白に何かが変化しているとすれば、その変化の間にある時系列上のつなぎ目を出来事と考えることはできる。つなぎ目としては固いものと緩いものが考えられるだろう。前者としては、就職や転職、結婚や離婚、出産、事件や事故などがある。例えばある日交通事故に巻き込まれ、それ以来下半身不随となり歩けなくなったということであれば、事故に巻き込まれた日は自分の身に起きた事件という、固いつなぎ目として記憶される。固いつなぎ目と言ったが、この場合はもはや鎖に繋がれているようなものではある。
つなぎ目が固いということは、取り替えることが困難、あるいは不可能であることを意味する。歩けなくなった人間が、その原因となった事件を忘れることが無いように、意識するしないに関わらず、参照項として現在の認識に存在し続ける。その様態が本人の精神を蝕んでいる場合、心理学的にはトラウマと呼ばれる。
また、今は説明のために事故の例を出したが、必ずしもネガティブなものである必要性も無い。どんな些細な出来事でも、一生忘れられない固いつなぎ目になる可能性は有り得る。他人にとっては取るに足らないことであっても、その瞬間に自分がどんな心構えをしていたか、誰と一緒にいたかなどによって、出来事は石ころにもダイヤにもなり得る。
一方の後者については、大まかには毎日の日常生活がある。継続的に続いていて、当たり前になっていることである。起きて眠ること、仕事をすること、食事をすることや掃除をすることなどがそれにあたる。記録として、カレンダーや日記に履歴を残す人はいるかもしれないが、それを数えることは基本的にはないだろう。ひとつひとつは取るに足らないが、しかし時間の経過とともに少しずつ積み重なっていく。夜中に積もる雪のように、知らない間に蓄積して、そしてなんらかの結果に結びついていく。

なにも起こさなかった2020年

このように出来事をとらえて、改めて2020年という1年間を振り返り、自分の身に起きた出来事について思いを巡らせていったところ、どうやらこの期間、出来事らしい出来事は何も起きていないという結論に達した。もちろん身の回りについて考えれば、コロナ禍による激動の1年だったのは間違いない。もしも私が2050年まで生きて過去を振り返った時には、2020年はコロナ禍の年だったとするのは想像に容易い。
しかし、私自身のこととして考えると、それほど根本的な影響を受けている実感がない。コロナ禍以前から、読書やゲーム、ピアノが趣味なので、仕事以外で外にいることが少ない。仕事自体もパソコンを使った事務作業で、しかも職場にある社内ネットワークに接続しないと何も出来ないので、テレワークも経験しなかった。外出の際にマスクをしたり、どこかに出入りするたびに手指の消毒をすることが日課にはなったが、それも日常生活に付加された行為に過ぎず、出来ないことが増えて不自由になった印象はない。強いて挙げるなら、旅行に行くという選択が無くなったことと、芝居の公演が出来なかったことくらいである。人によっては「くらい」という言葉で片付けられないのかもしれないが、私にとってはその程度のことである。「しょうがねえなあ」とは思っても、今できなくて困る、死ぬというわけではない。
 
とはいえ、そう思えるのも日々の生活という足掛かりがあるからだ。自分の身に何も起きていないということは、裏を返せば何も起きないように絶えず生活を積み重ね続けてきた、ということである。この1年間には明白に記憶に残るような固いつなぎ目はなかったが、緩いつなぎ目がほつれないように、編み続けてきた。毎日仕事を続け、家事の空いた時間に読書や楽器の練習に勤しむ。時々めんどくさくなってサボることもあったが、今現在年の暮れに至るまで、おおむね変わらない生活を続けることができている。思い出せるもの、思い出せないもの両方含め、この1年を形成した大事な生活のかけらのひとつひとつで、今が成り立っている。このような境涯に自分が立つことになるとは、20代の頃なら考えられないことだった。

灰になった20代の焼け野が原であがく30代とこれから

20代の前半は勘違いと、自分と周りに嘘をつくことで成り立っていた。常識を疑うのが当たり前で、自分は外から常識を観察できる、と思い込んでいた節がある。常に今ある状況から一歩引いて、客観的に自分自身、及び周囲の人や物事を観察して、合理的な理屈を作る事に価値を見出していた。地道な努力を嫌い、効率よくできる方法ばかり探してすっかり頭でっかちになっていたように思う。しかし、その態度は自分の理解の範囲に引きこもっている状態である。自身の臆病さを隠すための現実逃避として以上には機能していなかった。それが学問的探求だと当時は思っていたが、結局のところ、自分が特別な人間だと思いたいがための手段でしかなかった。何もかもグチャグチャで矛盾だらけだったが、この頃については自分の気持ちをどうにかしようとする足掻きがあるように思えて、捨てがたいものもある。
20代後半は自暴自棄の季節で、今でもできれば思い出したくない時期ではある。嘘と見栄から生じた失敗が認められず、ただ一切が過ぎていったように思う。グチャグチャなものをグチャグチャなままにして、全てを諦めて誤魔化してばかりいた。そうして20代のすべては燃え尽きて灰となり、何もない焼け野が原から30代が始まった。
そういうわけで、30代は20代の敗戦処理という位置づけを与えている。誰を恨んだところで現実は変わらず、どちらかというと悪化するということも30代に入ってから学んだ。 
今は、10年後に目掛けた着地点を想像している。自分にとって大事なものとそうでないものを切り分ける。今を忘れえぬ日々として思い出す為に。
  
最後に一つ、何も起きなかったとは書いたが、実は正確な記述ではなかったことを告白しておく。致命的に悪いことがひとつだけ起きていた。昨年から現在にかけて、体重が爆発的に増えていた。具体的には10キロ増加した。お腹周りのぜい肉はもちろんだが、顔や首にも肉がつき、二重アゴが常態化してしまった。背中に腕を回して肩甲骨を前に押すと、以前であれば骨が浮き出てきて、よく友人から天使の羽などと言われたものだが、それもすっかり肉に覆われてしまい、今では飛べない豚と成り果ててしまった。脂肪は灰になってくれなかった。
しかしこれも日々の積み重ねが生み出した現実であり、逃げることは出来ない。ひとまず来年は、このだらしない肉体を少しでもマシにすることから始めようと思う。
(2816字)
 
 

草の根に出来る事を考える その①

前置き:考えるための言葉について、あるいはゾンビに抗う術としての

このブログは、自分が読みたい言葉、考えるための言葉を書く場所である。そのように宣言しているのは、もちろん文字通りの意味もあるのだが、一方で、ある種の世間的な事柄とこの場所とを切り離す言い訳でもあった。それは単なる現実逃避ではなく、自分の軸を守り、周囲の流言飛語に惑わされないようにするという自己防衛の意味もある。なにしろ今の世の中、メッセージを伝える手段はいくらでもある。当然、何かを知る機会というのも莫大に増える。しかし、どんなに知る量が増えようが、その中で自分にとって必要なモノゴト、大事なモノゴトの数には限りがある。量が多くなっても、その質を判断する方法を知らなければ、やがて砂漠の流砂に埋もれて窒息してしまう。考えるための言葉を書く、という事で私が想定しているのは、自分がいかにして質を判断しているのか、ということについて自覚的になる、という事でもある。

ほんとのところを述べると、私にとっては「考える」ことと「言葉を書く」こととは同じ意味になる。だからこそ、「考えるための言葉を書く」というのは「頭痛が痛い」という程度に冗長な表現で、違和感もある。言葉を書く時には常に考えているし、考えている時には言葉を書くように考えている。

しかし、三十数年も生きてきて、最近ようやく身に染みて痛感したのだが、少なくとも私のこの感覚は常識ではないらしい。Twitterを開けば、条件反射で見知らぬ誰かに罵詈雑言をぶつける人間はいるし、Facebookを開けば、他人のコメント欄で自分の自慢ばかりする人間もいるし、言葉を書くことで仕事しているはずのマスメディアも、国家の官報に成り下がり思考停止している節がある。そんな方々が「考えるために」言葉を書いている、とは到底思えない。少なくとも、私自身が思考する上では無駄なものばかり増えている。ただただ、他人にぶん投げるような言葉の方が多くなっている。随分と生きづらい、病的な世の中になったものだなと常々思っている。

だから、「考えるための言葉を書く」と持って回った表現をするのは、そうした思考なき「ロクデナシ」の、言葉のゾンビ達に抵抗する意味合いも籠めてのことである。そう、ゾンビなのだ。脳みそを誰かに乗っ取られたかのように、思考せずに言葉を垂れ流す。今、特に日本語は、ゾンビが吐くような毒液にこっぴどくやられているような、そんな気がしている。

「言葉を書く」というのは、もっと孤独に、しかし希望に満ち溢れていて欲しいと思う。どうしてもこれが書きたいと思って、でも書けなくて四苦八苦した挙句ようやく書いて、でもなんだか釈然としなくて…みたいな、産みの苦しみの中にこそ希望が見いだせるのではないかと思う。しかし当の言語が毒まみれではどうしようもない。だからこそ、まずはゾンビに抗う術としての、考えるための言葉を書く場所が必要なのだ。

と、毎度のことであるが、タイトルにある通りこの節は「前置き」で、この後コロナウィルスの事について書くつもりだったのだが、長くなった上にブログの更新自体滞っているので、一旦ここで止めていくこととする。

とあるライブの振り返り

たまには日記らしい日記というのも書いてみます。何となくですが、日々の出来事を書く時には、誰かに話すようなイメージがあります。ブログで、「誰かに話す」というと、やや不特定多数を想定する事になります。そういう時の自分はですます調になる傾向があります。要するに言葉のベクトルが外側に向くか、内側に向くか、の違いということです。その差を語尾のリズムで分別しているみたいです。

 

さて、先日2月29日は、地元の音楽レストランのベアーズさんにて、セッションライブに参加しました。こちらのお店です。

http://bears-aomori.com/

こういう自分の生活上の手掛かりになる情報をブログに書くのは、正直躊躇う部分もあるのですが、そんな事言ってたらどんどん書き方が制限されて更新頻度が落ちる事が分かったので、もう書いてしまうことにしました。正直にいこうと思います、自分に。

さて、セッションライブという名目なのですが、例えばジャズやブルースのセッションみたいに、その場で曲を決めてやる形式とは微妙に違います。やる曲自体は事前に決まっています。ただ、事前に集まってのリハーサルや打ち合わせ作業をしません。お互いの出音が当日まで分からないまま、ぶっつけの本番が始まります。なので、例えば参考音源のキーがベースとピアノの方で違っててアレ?となったり、実は耳コピを間違えていて、コードチェンジが変だな、となったりします。何だか書いているだけでドキドキしますが、そういうトラブル含めて、その場で出てきたものに合わせて行くのがセッションライブの醍醐味だったりします。

今回のライブは3部構成になっていました。1部がロック系、2部がアコースティック、3部がジャズ系です。私はキーボード担当で、1部のロック系2曲をやり、2部はお休みして、3部はラストまで出ずっぱりでした。数えてみれば、全部で9曲やった事になりますね。その内の8曲はコード進行が分かりやすかったり、周りの人の助けが借りられるタイプの曲だったりなのでなんとかなるのですが、1曲だけヤバいのが混じっていて大変でした。


https://youtu.be/kjq6Cv7no4w

以下、気が付いたら楽曲解説みたいな事になってました。わかんない人置いてけぼりですが、御容赦ください。

渡辺香津美unicornという曲です。テーマのリフはリズムキメキメでズレたら死にます。16分音符中心のフィーリングなんですが、シンコペーションになったり、基本的に16部音符の裏を取っていく感じです。逆に言えば、表の休符をいかに感じていられるかが肝ですね。まず、こういうタイプのリズムの経験が無かったので大変でした。この曲に関しては、音高の確認よりリズムの練習の割合が多かったと思います。

リズムも難しいのですが、コード進行も独特です。一応、キーはDマイナーと見なせるのですが、1度も使われないです。

仮にアタマのアウフタクトを1小節と数えれば、ひと回しが12小節になります。それをブルース進行と見なせば、12小節目のD7をトニックドミナントと見なせます。ジャズスタンダードでいうと、The chickenや、black coffeeみたいなやつです。納浩一さんの理論書の記述に従えば、スペシャル・ファンクション・ドミナント(S.F.D)に分類されます。シリのドミナントから始まり、アタマのドミナントに抜ける、というのが基本的な構成ですね。この最初のメインテーマをAパートとしておきます。

メインテーマ後のギターソロは、Aパートのうちの4小節を繰り返します。このソロの裏で鳴ってるエレピのバッキングがファンキーでカッコイイんですが、難しくてなかなか苦労しました。本番でも結構音はずしていたので悔しかったです。

原曲では、ギターが8回分のソロ回したあと、メインテーマに戻ります。そこで終わりかと思いきや、今度はBパートが始まります。16分音符のフィーリングはそのままですが、Aパートよりもリズムの波が広く大きくなります。使われるコードも2つしかないので、コード進行の点からも、間隔が空いて、空間が広がる印象です。ここはヴィブラフォンのソロがメインですね。尺自体はそんな長くないですが、構成が明確で分かりやすいソロです。本番当日ヴィブラフォンは居なかったので、私がシンセでソロをとる事になってました。譜面はあったのですが、いつも8分音符でしかソロが取れていない自分にとっては、そこそこに大変でした。練習を初めた当初、原曲と同じテンポでは全く歯が立たなかったので、速度を落として音を確認しました。あとはセクション毎にフレーズを切り、それぞれ難易度を腑分けしてみて、例えば難しい部分でつまづいでも、その後にあるここのフレーズで復帰する、とかそんな事を考えながら練習しました。

結果的にこの曲を練習した時間9割の、他の曲1割みたいな状況になってしまいました。おかげでこの曲については、まあ何とかそれっぽい感じになったんですが、他の曲があまりに付け焼き刃過ぎて課題が残る結果になりました。なまじっか周りの楽器隊のレベルが高く、自分が打てば打つほどいい球を返していただけるような素敵メンツだっただけに、悔しかったですね。いつでもいい球が打てるように、日々精進です。

 

欲望と希望の間で

明日の指針としての希望と、現在の充足を求める欲望

前回の続きから始めたい。どうして、自分にとって1番大事な事は何か、を考えなければならないのかといえば、要するにそれが生きる希望になるからだ。希望というのはつまり、今より先の未来についての思考である。しかしどうにも未来を志向する、という事が中々に難しいと私自身が考えている。実際、これから何をするかという指針ではなく、今何をしたいかという欲望の方が、遥かに優先順位が高い。端的に、希望よりは欲望が勝っている状態だ。

極端に言えば、未来、と言った瞬間、全てがモヤの中に消えていくような感じがある。ひたすら現状が延長していくのではないか、とどこかで考えているのかもしれない。今より悪くならないでくれ、とは思う。しかしどうすれば良くなるのかについて、明確な答えが出ない。ひたすら、今の自分の欲望を満たす事の繰り返しが続いていくのではないかとすら思う。

希望を持って生きる、というのは、ただ生きるのではなく、良く生きる、ということではある。しかし現状維持以上の選択肢が浮かばない今、希望は限りなく薄いのではないか。

希望はなくてもいい?

もっとも、希望はなくとも生活は成り立つらしい。という事を、ここ数年身を持って感じている。

自分の最近の生活サイクルを振り返る。毎日の大半は仕事と睡眠時間に充てられる。仕事が大体9時から18時の8時間で、睡眠時間が24時から7時の7時間。合計で15時間、24時間の内の半分以上を占めている。ここに希望は無い。仕事に希望が無い、というのはショッキングだが、生活を回していく為に必要だからやっているのであって、なにかしらの希望があってやっているわけではない。もちろん、楽しい事だってある。褒められたら嬉しい。しかしそれと希望がある事とは別なのだ。

残りの9時間は、掃除洗濯炊事といった家事をこなす。更にそこに隙間が出来てからようやく、自分の事を始める。筋トレをしたり、ピアノの練習をしたり、本を読んだり、ゲームをしたりするが、時々疲れて寝落ちしている事もある。一応例外についてもふれておく。例えば2週間に1回は、ブルースバーでセッションするので、その時は家事の一部がサボりがちになる。それから、年に何回かは芝居の本番がある。その場合は大体仕事終わりに稽古をするので、その期間は家事そのものが停滞する。飯は外食やコンビニで済まし、洗濯は必要最低限、掃除はほぼしなくなる。手につかなくて出来ない、が、正直な気持ちだ。

こうやって書き出してみたところ、それなりに楽しく暮らしている、と言えるのかもしれない。しかし、希望があるか、と聞かれたら口をつぐむ。ただ、その時その時の、瞬間的な欲望が満たされる事の繰り返しでしかないのだ。

だからこそ、今が良ければそれで良いと、欲望を剥き出しにしてクズに甘んじる事も容易い。生きる希望が無いなら、目の前の自分の欲望を充足させる事でお茶を濁す。しかし欲望はそれ自体、際限が無い。終わらせるには終わらせるなりの根拠がいる。それが自分にとって1番大事な事、指針としての希望なのだろう、とは考える。

もちろん、欲望を満たせるのは幸運な事だとは理解している。周りを見渡せば、仕事が無くて住むところもなく、充分な睡眠も取れなかったり、満足に飯も食えない人だっている。そんな方々からしたら、希望だなんて贅沢なのかもしれない。

しかし、欲望を満たしたからといって希望が見いだせるわけではない。仕事で成功して大金持ちになり、衣食住の安泰はもちろん、地位も名誉も全て手に入れたにも関わらず、離婚して家族バラバラになり、自殺する実業家、なんてのもいる。

逆に、欲望を満たしていないから希望が見いだせない、こともない。金欠でいつでもお腹が空いて仕方無いが、いつか真理にたどり着いてやると情熱を燃やして研究に打ち込む科学者だっている。例え欲望が満たされていなくても、自分が希望に向かっているという確信があれば満ち足りるのだ。

希望の「希」は、「こいねがう」と訓読みする。こいねがうは、乞い願うのであり、いつでもそうありたいと願わずにはいられないものであろう。そのような望みは、残念ながら今の自分には無いに等しい。ピアノは好きだし、練習して上手くなりたい、という欲求はある。過去の燻りにもう一度火をくべたいという意味もある。しかし、今のところ、ただの楽しみ以上のものではない。仕事をして生活する、というのがベースであって、それ以外は全て余技だ。このブログを書く事も含めて。さて、希望の無さを自覚してみたは良いのだが、そこからどうするのかははっきりしない。モヤモヤと立ち込める霧は晴れぬままである。

反省するとはいかなる事か

半生を反省する前に

若い内の過去の反省は、苛烈なものになりやすい、と老師内田樹さんがブログで書いていた。あれがダメだとかこれが良くないとか、否定的な物になりやすいらしい。内田先生としては、だから反省するなという話ではなかったとは思うのだけれど、当該記事が見つけられないので事の真相は定かではない。

それはともかくとして、人生のステージの節目が来た、という時期くらい、反省を試みても良いのではないか、私は思う。自分の今現在を構成しているのはそれまでの来歴としての過去であるし、更にはその来歴自体を支えている、歴史としての過去がある。ここではひとまず、来歴について、考えていきたい。

しかし、闇雲な反省、というのは、教師が生徒の素行を叱るような、自分に対する説教くさいものになりやすい。反省というのは大概にして、子供の素行の悪さに対する、教師や親といった大人からの矯正を含むから、悪いイメージが強い。だからこそ、自分は過去を振り返らない、反省しない、という人がいても不思議はない。

だから先に考えるべき問題は、何のための反省なのか?ということである。

端的に述べるなら、自分が1番大事にしたい事は何かを改めて確認し、今後の指針とする為、なのだが。どうして自分の来歴を反省する事でそれが可能になるのだろうか。

 

過ぎ去ること、踏み止まること

タイミングを考えると、個人的な側面で言うなら、30代になってから約2年。そして今の職場で働くようになってから1年が過ぎている。生活は軌道に乗っているとは正直言い難いが、どうにか暮らしている程度には留まっている。社会人になればあっという間に時間が過ぎる。働く前までは全く実感が無かった。しかし1年間、僅かでも働いてみるに、ああ、こういう事なのか、と痛感してしまっている。本当の意味で日々が「過ぎる」。そして同時に何かが去っていく。自分が1年分の時間ごと、台風で吹き飛ばされて現在に至っているようにすら感じる。

 

少なくとも、学生時代はそうではなかった。確かに日々は過ぎていったが、決して去ることはなかった。1日1日を噛み締めて、踏み止まるように生きていたと思う。その時その時の瞬間に杭を穿ち、必死に繋ぎ止めるように。自分を舟とするなら、その航海は毎日、嵐に見舞われているような心持ちだった。学生時代を人生の夏休みと言う人もいるが、自分にとって、心の休まる時間は全くなかった。達成感に飢えていて、いつも何かになりたいと願いながら、しかしそのあまりのハードルの高さに絶望し、それでも何とかしようと足掻いて、焦り、そして転ぶ。今にして考えると窮屈で悲痛に思える部分もあるのだが、容易に否定して無かった事にも出来ない。

 

去っていたものは何か?

断絶して、忘れるという選択肢はある。恐らく大半の人間は無意識に、今現在の状況に適応し、過ぎ去る日々を過ぎ去る日々として粛々と受け入れる。ああ、早くなったな、と。もう何年も経ってしまった、と。もしも、そうやって過ぎた事にしかリアリティを感じ無くなっていくとしたら、それはとてつもなく虚しい。

去っていたものがなんだったのか、という問について、唐突な思いつきではあるのだが、東浩紀がクォンタムファミリーで参照していた、村上春樹の35歳問題を思い出した。拙速に結論を言えば、去っていったのは有り得たかもしれない自分の物語なのだろう。ありえたかもしれない、という仮定法過去と、出来なかった、という不可能性が、仕事して生活をする、という、この現実の周囲に蓄積する。この考えでいくと、実は去っていった可能性は、本当の意味では去らず、蓄積している事になる。例えば、今日、私は朝から夕方までとある家電量販店に立ちお客さんの相手をしている。しかし、過去のある地点において状況や条件が違っていたら、今頃はニューヨークのブルックリンでジャズピアノを弾いているかもしれない。

蓄積の度合いは恐らく、仮定法過去の前半部分に対する燻り度合いに比例する。つまり、あの時、こうしていたら、に対する燻りである。あの時真面目にジャズピアノを練習していなかったから、私は今家電量販店の売り場に立っている。これが今の現実で。もしあの時もっと真剣にやっていたら…の後が想像上の可能性の物語である。仮定法過去の前半の気持ちが満たされず、後半部分の可能性が肥大して溢れる閾値の年齢が35歳で、そこが人生の折り返しになる(と、言うのが35歳問題についての私の理解)。

要するに、自分にとっての1番大事にしたい事はなにか、を考える上で、ひとつ大きな手掛かりになるのは自分自身の過去の来歴で。特に、その過去において現実に体験した事ではなく、やろうとして出来なかった事や、その時の自分の気持ちの燻り加減なのではないかなあ、という事。だからこそ、反省というのは、ただ失敗を悔いたり、過去の成功体験を振り返って悦に浸るのではなしに、これからの生き様に侵食していくであろう、燻りを見つける為にあるのではないか、と考える。

そして反省を有意義にするには、生きた時間の長さだけでは足りず、学問的知見や、文学的な想像力が大きな助けになりえるのだが、いい加減にブログを更新したいので今日はこの辺りで失礼します。

やめたりはじめてみたり

Stanley Parableというゲームがある。steamで購入できるインディーズゲームなのだが、プレイした人間からすると、厳密にこれをゲームと呼んで良いのかどうか分からない。それくらいゲームらしくない。少なくとも、ドラクエやFFのように、ワクワクする物語や戦闘システム、派手なエフェクトやCGもない。むしろそういった装飾の根本にある、製作者の意図や思想自体をネタにしているような雰囲気がある。

設定が独特で、プレイヤーは主人公を、ナレーションが指示する通りに動かしても良いし、従わなくても良い。起こすアクション次第で次の展開が変わる作りになっているが、その内容が中々にシュールで面白い。主人公は設定上、スイッチのオンオフと、ジャンプしかできないのだが、その設定を利用した展開があったり、ナレーションに従わないプレイヤーにナレーターがブチ切れたり。全体的に安っぽいデザインにはなっているが、その安直さにも何か意味があるように思わせる、非常によく出来たゲームだと思う。

 

いきなりなんの話だ、という感じだが、このゲーム、実績解除の内容も面白くて、その中に5年間このゲームをプレイしない、という項目があって。このブログを放置している事を考えていて頭をよぎったのがそれだった、というだけなのだが、話が長くなってしまった。

というわけで、気が付くと前回の更新から半年近く経過してしまったらしい。自分で宣言した通り、橋本治を読むのは中断している。再開したい気持ちもあるが、このブログと同じでうまく時間が作れない。しかし、このように書いたから、やはりこのブログと同じように、また読み始めようかな、という気分もある。

下書きに書きかけの記事がいくつかあるから、更新する気がゼロってわけではなかったのだろうが、腰を据えて書こうとするのがなかなか難しいのかもしれない。Twitterには思いついた事を、思考のメモとして残しているのだが、そんな感じで、もうちょいサクッと出来たらなとも思う。2週間に1回くらい、自分の頭を整理する意味で、まとまった文章を書く機会を作ろうかなと思う。

そんな感じで、またちまちま時間見つけて更新していきたいと思いますので、よろしくお願いします。

橋本治を読むことについて

  最近、ここ半年ぐらいの話だが、過去に自分が途中でやめたり、諦めたりした事をやり直す、という事を基準で趣味を始めている。特に、無闇にやっていたことではなく、殊更の熱意をもってやっていた事である。このブログもそのひとつだが、今取り組んでいるのは他に2つある。ひとつが楽器の練習で、主にドラム。こちらの話については、私は最近までバンドでキーボードを弾いていたのだが、そういった活動を一切やめた事とも関わっているので、詳しい話はまた今度にする。

もうひとつは、読書について、当時読んでいた好きな作家、気になっていた作家の作品を追いかける、ということ。今日はこちらのお話をしてみようと思う。

  最近は、橋本治の作品を追いかけている。大学時代にゼミの教授が授業の副読本として橋本治の著作を挙げていて、それで気になって読んだのがきっかけではあった。しかし、当時はものぐさな性格がたたり、エッセイや新書の類は読んでいたが、彼のメインの仕事だったと思われる、長編小説の方は読んでいなかった。

  そうしているうち、2019年の1月に、橋本治は鬼籍に入ってしまった。もうこの人の時評が読めないのが残念だな、と思うのと同時に、もし、橋本治がある状況を見た時にどう考えるか、を自分が考える時に、それを考えるだけの情報が自分にあるだろうか、という事に思い至った。具体的な根拠はないが、しかし確実なことはひとつある。そもそも「もしとある人物だったら、とある状況をどう考えるか」という思考自体が稀有である、ということ。加えて、それを「橋本治」という主語で行う人間はほとんどいない、ということである。

 だからこそ、今現在で、彼の著作を追いかける意味があるような気がしている。おそらく、今回の参院選の動向を見ていく中で、そういう気分が生まれたのではないかとは思うが、それは近い過去から最も妥当と思われる要素を抜き出したに過ぎない。現時点では上手く言語化は出来ない。そもそも気のせいか、本当に意味があるかどうかは、著作を読み込んだ上で目撃する現実を見て判断するしかないだろう。ただ、私にとって、腰を据えて物事を考えるというとき、そのものさしになってくれる人間の一人が橋本治だというのは確かである。

 なんてえらそうな事を言っている現在、「双調 平家物語」の2巻の途中まで読んでいる。勝手に文語体で読みづらいのではという偏見があったのだが、全然文語体ではない。これがものすごく読みやすい。全部で12巻あるみたいだから、少しずつ時間を見つけて読んでいこうと思う。定期的に読んだ内容のお話をしていければと思うが、何にも音沙汰が無くなったら、挫折したと思って生暖かくみていただければ幸いです。

 

双調平家物語〈1〉序の巻 栄花の巻(1)

双調平家物語〈1〉序の巻 栄花の巻(1)