辺境で船を漕ぐ

自分が読みたい言葉を書きます。

忘れえぬ日々のために

時系列のつなぎ目としての出来事

過去の記憶を振り返る時、何が出来事として記憶されるだろうか。必要なのは変化だとは考えられる。例えば過去の記憶を時系列順に書き出したとき、それ以前とそれ以後で明白に何かが変化しているとすれば、その変化の間にある時系列上のつなぎ目を出来事と考えることはできる。つなぎ目としては固いものと緩いものが考えられるだろう。前者としては、就職や転職、結婚や離婚、出産、事件や事故などがある。例えばある日交通事故に巻き込まれ、それ以来下半身不随となり歩けなくなったということであれば、事故に巻き込まれた日は自分の身に起きた事件という、固いつなぎ目として記憶される。固いつなぎ目と言ったが、この場合はもはや鎖に繋がれているようなものではある。
つなぎ目が固いということは、取り替えることが困難、あるいは不可能であることを意味する。歩けなくなった人間が、その原因となった事件を忘れることが無いように、意識するしないに関わらず、参照項として現在の認識に存在し続ける。その様態が本人の精神を蝕んでいる場合、心理学的にはトラウマと呼ばれる。
また、今は説明のために事故の例を出したが、必ずしもネガティブなものである必要性も無い。どんな些細な出来事でも、一生忘れられない固いつなぎ目になる可能性は有り得る。他人にとっては取るに足らないことであっても、その瞬間に自分がどんな心構えをしていたか、誰と一緒にいたかなどによって、出来事は石ころにもダイヤにもなり得る。
一方の後者については、大まかには毎日の日常生活がある。継続的に続いていて、当たり前になっていることである。起きて眠ること、仕事をすること、食事をすることや掃除をすることなどがそれにあたる。記録として、カレンダーや日記に履歴を残す人はいるかもしれないが、それを数えることは基本的にはないだろう。ひとつひとつは取るに足らないが、しかし時間の経過とともに少しずつ積み重なっていく。夜中に積もる雪のように、知らない間に蓄積して、そしてなんらかの結果に結びついていく。

なにも起こさなかった2020年

このように出来事をとらえて、改めて2020年という1年間を振り返り、自分の身に起きた出来事について思いを巡らせていったところ、どうやらこの期間、出来事らしい出来事は何も起きていないという結論に達した。もちろん身の回りについて考えれば、コロナ禍による激動の1年だったのは間違いない。もしも私が2050年まで生きて過去を振り返った時には、2020年はコロナ禍の年だったとするのは想像に容易い。
しかし、私自身のこととして考えると、それほど根本的な影響を受けている実感がない。コロナ禍以前から、読書やゲーム、ピアノが趣味なので、仕事以外で外にいることが少ない。仕事自体もパソコンを使った事務作業で、しかも職場にある社内ネットワークに接続しないと何も出来ないので、テレワークも経験しなかった。外出の際にマスクをしたり、どこかに出入りするたびに手指の消毒をすることが日課にはなったが、それも日常生活に付加された行為に過ぎず、出来ないことが増えて不自由になった印象はない。強いて挙げるなら、旅行に行くという選択が無くなったことと、芝居の公演が出来なかったことくらいである。人によっては「くらい」という言葉で片付けられないのかもしれないが、私にとってはその程度のことである。「しょうがねえなあ」とは思っても、今できなくて困る、死ぬというわけではない。
 
とはいえ、そう思えるのも日々の生活という足掛かりがあるからだ。自分の身に何も起きていないということは、裏を返せば何も起きないように絶えず生活を積み重ね続けてきた、ということである。この1年間には明白に記憶に残るような固いつなぎ目はなかったが、緩いつなぎ目がほつれないように、編み続けてきた。毎日仕事を続け、家事の空いた時間に読書や楽器の練習に勤しむ。時々めんどくさくなってサボることもあったが、今現在年の暮れに至るまで、おおむね変わらない生活を続けることができている。思い出せるもの、思い出せないもの両方含め、この1年を形成した大事な生活のかけらのひとつひとつで、今が成り立っている。このような境涯に自分が立つことになるとは、20代の頃なら考えられないことだった。

灰になった20代の焼け野が原であがく30代とこれから

20代の前半は勘違いと、自分と周りに嘘をつくことで成り立っていた。常識を疑うのが当たり前で、自分は外から常識を観察できる、と思い込んでいた節がある。常に今ある状況から一歩引いて、客観的に自分自身、及び周囲の人や物事を観察して、合理的な理屈を作る事に価値を見出していた。地道な努力を嫌い、効率よくできる方法ばかり探してすっかり頭でっかちになっていたように思う。しかし、その態度は自分の理解の範囲に引きこもっている状態である。自身の臆病さを隠すための現実逃避として以上には機能していなかった。それが学問的探求だと当時は思っていたが、結局のところ、自分が特別な人間だと思いたいがための手段でしかなかった。何もかもグチャグチャで矛盾だらけだったが、この頃については自分の気持ちをどうにかしようとする足掻きがあるように思えて、捨てがたいものもある。
20代後半は自暴自棄の季節で、今でもできれば思い出したくない時期ではある。嘘と見栄から生じた失敗が認められず、ただ一切が過ぎていったように思う。グチャグチャなものをグチャグチャなままにして、全てを諦めて誤魔化してばかりいた。そうして20代のすべては燃え尽きて灰となり、何もない焼け野が原から30代が始まった。
そういうわけで、30代は20代の敗戦処理という位置づけを与えている。誰を恨んだところで現実は変わらず、どちらかというと悪化するということも30代に入ってから学んだ。 
今は、10年後に目掛けた着地点を想像している。自分にとって大事なものとそうでないものを切り分ける。今を忘れえぬ日々として思い出す為に。
  
最後に一つ、何も起きなかったとは書いたが、実は正確な記述ではなかったことを告白しておく。致命的に悪いことがひとつだけ起きていた。昨年から現在にかけて、体重が爆発的に増えていた。具体的には10キロ増加した。お腹周りのぜい肉はもちろんだが、顔や首にも肉がつき、二重アゴが常態化してしまった。背中に腕を回して肩甲骨を前に押すと、以前であれば骨が浮き出てきて、よく友人から天使の羽などと言われたものだが、それもすっかり肉に覆われてしまい、今では飛べない豚と成り果ててしまった。脂肪は灰になってくれなかった。
しかしこれも日々の積み重ねが生み出した現実であり、逃げることは出来ない。ひとまず来年は、このだらしない肉体を少しでもマシにすることから始めようと思う。
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